ロランが領主の城から帰ってきてすぐ、家族会議が開かれた。食堂の片隅、普段は客で賑わうテーブルを囲んで、ロラン、父、母、そしてエメリアとルークが真剣な面持ちで座っていた。
「…というわけで、領主様から、城で料理の修行をしないかと誘われたんだ」
ロランは、城での出来事を家族に話した。彼の言葉が終わると、食堂には静寂が訪れた。ルークはまだ小さすぎて状況を理解しきれていないが、エメリアは兄の表情から、これがとても大きなことだと感じ取っていた。
最初に口を開いたのは、母親だった。
「城の専属料理人…それは、とても名誉なことだわ。でも、あなたはまだ子ども。親元を離れて、大丈夫なのかしら…」
母親の目は、心配の色を湛えていた。父親は腕を組み、深く考え込んでいた。
「確かに、簡単な話じゃない。城での暮らしは、ここでの生活とは全く違うだろうし、何より、お前はまだ一人で外で暮らすには幼い」
父親の言葉に、ロランは俯いた。彼自身、期待と同じくらい、不安も感じていたのだ。
その時、エメリアがロランの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「にいちゃ、いっちゃうの? いっちゃうのやだ!」
エメリアの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。いつも一緒にいた兄が、遠くへ行ってしまうかもしれないという不安が、幼い胸に押し寄せたのだ。ルークも、兄の様子を見て不安そうにロランを見上げていた。
ロランは、エメリアの頭を優しく撫でた。
「エメリア…」
「だけど、ロラン」
父親が顔を上げた。その目には、迷いではなく、確かな光が宿っていた。
「お前が『至高の調理』のスキルを授かった時、俺は心から嬉しかった。それは、お前が誰かの役に立ち、お前の選んだ道で輝くことができる、神様からの贈り物だからだ」
「父さん…」
「俺たちは、お前が城に行くことを止めない。いや、むしろ、行ってほしいと思っている」
父親の言葉に、ロランも母親も驚きの表情を見せた。
「あなたが、自分の才能を最大限に伸ばせる場所があるのなら、そこへ行くべきよ。寂しくないわけではないけれど、私たちはここで、ずっとあなたのことを応援しているわ」
母親も、涙を浮かべながらも、力強く頷いた。
「にいちゃ、がんばって! エメリア、おうえんする!」
エメリアも、涙を拭って兄にエールを送った。ルークも、エメリアの言葉に合わせて「がんばー!」と手を振った。
家族の温かい言葉に、ロランの心は大きく揺さぶられた。不安は消えないが、それ以上に、家族が自分を信じ、背中を押してくれているという事実が、彼の胸に勇気を与えた。
「ありがとう…みんな! 俺、頑張るよ! 必ず、城で最高の料理人になって、いつか皆に、俺の作った最高の料理を食べさせるから!」
ロランは、家族一人ひとりの顔を見つめ、決意を新たにした。
数日後、ロランは城へと旅立つ準備を整えていた。彼の荷物は少なく、食堂の隅に立つ彼の姿は、以前よりも少しだけ、大人びて見えた。
「ロラン、体には気を付けるんだよ。困ったことがあったら、いつでも手紙を書きなさい」
母親は、ロランに手作りのパンと、繕い物の道具を渡しながら、何度もそう言い聞かせた。その目には、やはり別れの寂しさが滲んでいた。
「ああ、心配いらないよ、母さん。父さん、この店、頼んだぞ」
「任せておけ。お前が帰ってくる頃には、もっと賑やかな店にしてやるからな」
父親は、ロランの肩を力強く叩いた。
「にいちゃ…これ、エメリアのだいじな、おはな」
エメリアは、摘んできたばかりの小さな野花を、ロランの差し出した手にそっと乗せた。
「ありがとう、エメリア。大事にするよ」
ロランは、その花をそっと胸元にしまった。ルークは、ロランの足元にまとわりつき、小さな手で彼のズボンを掴んでいる。
「にいちゃ、いかないで…」
ルークの幼い声に、ロランは思わずしゃがみ込んだ。
「ルーク。兄ちゃん、もっともっと美味しい料理を作れるように、お勉強しに行くんだ。だから、お前はここで、父さんと母さん、エメリアのこと、ちゃんと守っててくれるか?」
ロランの言葉に、ルークは小さな目で兄を見つめ、ゆっくりと頷いた。
食堂の前には、ロランを見送る家族と、近所の常連客たちが集まっていた。リーアムおじさんやアイリーンおばさんも、フィンやミアを連れて見送りに来てくれていた。
「ロラン君、頑張るんだよ! きっと、君なら立派な料理人になれるさ!」
リーアムおじさんの激励の声に、ロランは深々と頭を下げた。
そして、彼は振り返ることなく、城へと続く道を歩き始めた。その背中は、希望と、そして家族への感謝で満ちていた。遠くから、エメリアの「にいちゃ、いってらっしゃーい!」という声が聞こえる。ロランは、その声に力をもらい、新たな学びの場へと足を踏み出したのだった。