第10話. 天啓、そして目覚め

2025年7月8日

ついに、その日が来た。エメリアが心待ちにし、同時にほんの少しだけ不安に感じていた、天啓の儀の日だ。十年という歳月が過ぎ、エメリアは背も伸び、幼い面影を残しながらも、はつらつとした少女になっていた。ロラン兄さんが城でスキルを得た時と同じように、彼女もまた、神殿の門をくぐった。

神殿の中は、荘厳な静けさに包まれていた。祭壇には、淡い光を放つ水晶が置かれ、神官が厳かに祈りを捧げている。ロランと両親、そして少し背が伸びたルークが、心配そうに、そして期待に満ちた眼差しでエメリアを見守っていた。

エメリアはゆっくりと祭壇の前に進み出た。深呼吸をして、水晶に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、ひんやりとした感覚が伝わり、同時に水晶が眩い光を放ち始めた。その光は、まるで生き物のようにエメリアの体を包み込み、彼女の意識の奥深くにまで浸透していく。

その時だった。

「――っ!」

エメリアの脳裏に、怒涛のような情報が流れ込んできた。それは、今まで彼女が生きてきた九年間の記憶とは全く異なる、膨大で、信じられないような光景の奔流だった。

知らない言葉、見たことのない国、空にそびえ立つ鋼鉄の巨塔、地面を滑るように走る鉄の塊。光る板を操り、遠くの人々と話す奇妙な装置。図書館で本に囲まれる女性の姿、紙の匂い、そして長い長い人生を生き抜いた者の感情。九十年という、途方もない時間の記憶が、一瞬にしてエメリアの意識に叩きつけられたのだ。

あまりにも膨大すぎる情報、あまりにもかけ離れた知識の奔流に、エメリアの幼い意識は耐えきれなかった。頭が砕けるような激しい痛みに襲われ、目の前が真っ白になる。

「エメリア!」

ロランの叫び声が聞こえたような気がしたが、その声も遠く、彼女の意識は深い闇へと沈んでいった。


次に意識が浮上したのは、慣れ親しんだ家のベッドの上だった。頭がガンガンと痛み、全身が鉛のように重い。ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が見えた。

「エメリア! 目が覚めたか!」

父親の安堵した声が耳に届く。視線を向けると、枕元には、心配そうに顔を覗き込む父と母、ロラン、ルークの顔があった。隣家のリーアムおじさんやアイリーンおばさんも、顔を覗かせている。

「お前、急に倒れるから、皆心配したんだぞ」

ロランが、ほっとしたように言った。彼の顔には、安堵の涙が滲んでいる。

エメリアは、頭の痛みに耐えながら、ゆっくりと状況を整理しようとした。前世の記憶だ。あの図書館司書として九十年を生き抜いた「星野葵」としての記憶が、完全に、彼女の頭の中に蘇っていた。まるで、昨日のことのように、鮮明に。

(ここは…私が生まれ変わった世界…そして、あの記憶は、私が死んだ後の、全く違う世界の記憶…)

混乱と、理解と、そして諦め。様々な感情が渦巻く。まだ、言葉をうまく紡ぐことはできないが、彼女の脳裏には、前世で培った豊富な知識と経験が蘇っていた。

「どう…だったの…? スキルは…?」

震える声で、エメリアは尋ねた。

父親と母親は、顔を見合わせ、少し困惑したような表情を浮かべた。

「それが…神官様も首を傾げていてな…。お前のスキルは、『改造(モディフィケーション)』のスキルだと…」

父親の言葉に、エメリアは瞬時に理解した。前世の知識が、その言葉の意味を明確に示していた。

「か、かいぞう…?」

ロランが首を傾げる。ルークも、よく分からないといった顔をしている。

「聞いたことのないスキルでな。神官様も、これまで例がないと仰っていた。一体、どんなことができるのか…」

母親が不安そうに呟いた。無理もない。前世の知識を持たない者にとって、「改造」という言葉は、曖牲すぎて理解しがたいだろう。

(改造スキル…まさか、こんなスキルを授かるなんて…!)

エメリアは、心の中で驚きと、どこか納得にも似た感情を抱いた。そして、同時に一つの結論に至る。

(私は、もうただの九歳の子供じゃない。この記憶は、誰にも知られてはいけない…!)

目の前にいる家族や隣人たちは、彼女を心から心配し、愛してくれている。しかし、九十年を生きた大人の知識と経験を持つ自分が、幼い子供のままでいられるだろうか。もし、この記憶が周囲に知られれば、自分を取り巻くすべてが変わってしまうかもしれない。

「大丈夫…わたし…」

エメリアは、たどたどしい子供の言葉で、精一杯の笑顔を作った。頭の痛みはまだ残っているが、彼女の心は、すでに未来を見据えていた。この世界で、この家族と共に生きていくために。そして、前世の記憶と、この新しいスキルを、どう隠し、どう活かしていくのか。

新たな人生の幕開けに、エメリアは静かに、そして密かに、決意を固めたのだった。