暗く、温かい場所から、まばゆい光の中へ押し出されるような感覚。全身を包むひどい不快感と、肺いっぱいに何かを吸い込む感覚が、新しい何かの始まりを告げた。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
本能のままに上げた産声は、まだ言葉を持たないその幼い存在にとっては、ただの不快な音だったのかもしれない。だが、その声が聞こえた瞬間、近くで温かい何かの声が響いた。
「ああ、産まれた! 元気なようだ!」
聞き慣れない、けれどどこか安心する声。次に聞こえたのは、安堵と喜びに満ちた別の声だった。
「よかった…本当に…!」
まだ何も見えない。ただひたすらに温かい何かに抱き上げられる。柔らかく、心地よい布に包まれ、やがて甘く優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
数日経ち、ようやくぼんやりとだが周囲の様子が分かるようになってきた。いつも温かい場所の中心には、幼子を抱きかかえてくれる大きな存在と、その隣にいるもう一つの大きな存在がいた。
ある日、眠りから覚めると、視界いっぱいに二つの大きな顔が並んでいた。
「わあ、起きたね!」
一番に声を上げたのは、おそらく兄だろう。くせ毛の茶色い髪で、大きな目をした少年だ。次に、兄の隣から覗き込むようにして、母親と思しき優しい顔が見えた。
「本当に可愛らしいわねぇ。小さな手足が、まるで飾り物のようだわ」
母親と思しき者の声が、優しく響く。その指先が、そっと幼子の頬を撫でた。
「おい、あまり近づけすぎると、泣いてしまうぞ!」
父親と思しき者の声は、ぶっきらぼうながらも、そこには隠しきれない喜びが滲んでいた。
「だって、可愛らしいんだもん! 妹だもん!」
少年が、体を乗り出すようにして言い返す。その声には、新しい何かが増えたことへの純粋な喜びがあふれていた。
「ほら、兄よ、あまり揺らすな。まだ生まれたばかりなのだから」
父親と思しき者が、少年の頭を軽く触った。
「そうよ。もう少し静かにしてあげて。まだ眠いかもしれないわ」
母親と思しき者が、穏やかな声でたしなめた。
「もうすぐ、名を授けるのだよね、父さん?」
少年が、父親と思しき者に問いかけた。
「ああ、そうだ。良い名をつけてやるのだ」
父親と思しき者の言葉に、少年は目を輝かせた。
数日後、温かい場所の中心で、家族が集まっていた。
「さあ、この子の名を決めよう」
父親と思しき者が、少し緊張した面持ちで言った。
「何か、皆で考えた名はあったか?」
母親と思しき者が、はにかむように答えた。
「はい、いくつか候補がございます。まず、私と夫が考えたのは…リラです」
「穏やかな光のように、暖かく、皆に愛される子になりますように、と」
母親と思しき者が、優しく付け加えた。
「ほう、リラか。温かな響きだ」
父親と思しき者が頷いた。次に、兄が勢いよく手を挙げた。
「僕も考えたよ! アリス! 誠実で、みんなと仲良しになれるようにって!」
家族それぞれの思いが込められた名に、まだ幼子は意味は分からないものの、その温かい響きに心地よさを感じていた。
父親と思しき者は、それぞれの名を静かに聞き終えると、考え込むように黙り込んだ。場所には、時折聞こえる、心地よい燃えるような音だけが響いている。
やがて、父親と思しき者はゆっくりと顔を上げ、幼子の方を向いた。
「…どの名も、この子への深い愛情が感じられる。しかし、この子には、もっと特別な名がふさわしいだろう」
父親と思しき者の声に、少年と母親と思しき者が息を呑んだ。
「この子は、恵まれた存在だ。皆の希望を繋ぎ、たくさんのものを紡ぎ出すだろう。だから…」
父親と思しき者は、ゆっくりと幼子を指差した。
「この子の名は、エメリアとしよう」
「エメリア…?」
母親と思しき者が、小さく呟いた。聞き慣れない響きだ。
「それは…どのような意味なのでしょうか?」
母親と思しき者が、恐る恐る尋ねた。
父親と思しき者は、静かに答えた。
「『恵みをもたらす者』。そして、『皆の希望を繋ぐ者』だ。この子はやがて、多くのものを紡ぎ出すだろう。それに、そなたたち家族の、穏やかな心、皆を結びつける縁、そして花のように咲き誇る美しさ…それら全てが、この名には込められている」
父親と思しき者の言葉に、母親と思しき者と少年は感動に震えた。父親と思しき者と母親と思しき者は、顔を見合わせ、深く頷いた。
「エメリア…」
母親と思しき者が、優しく幼子を抱きしめ、その名を呼んだ。その声は、これまでで一番、愛情に満ちているように聞こえた。少年も、どこか誇らしげに、新しい家族の名を口にする。
「エメリア、よろしくな!」
少年が、無邪気に笑った。
エメリア。この世界で、その幼子に与えられた新しい名。温かい家族の愛情に包まれ、彼女は新しい何かの第一歩を踏み出した。まだ言葉は話せないけれど、この家族がくれたこの温かさだけは、確かに感じ取ることができたのだ。