第47話. 畑の異変と、試行錯誤の始まり
ダクレスに鍛冶屋の手伝いを減らすことを伝えて以来、エメリアの日常は、新たな探求の日々へと変わっていた。朝は食堂の手伝いを終えると、村の中を散策したり、図書館で古びた書物を読んだりして、自分の『改造』スキルを活かせる場所を探した。トーマスとエルアラの心配そうな視線は相変わらずだったが、エメリアは努めて平然を装った。両親に隠した「前世の記憶」と「声の主」の秘密は、彼女の心に常に横たわる重石だったが、それを抱えながらも、目の前の世界に貢献したいという思いは強まる一方だった。
(次に、何にこの力を使えるだろう…?)
エメリアの意識は、常に身の回りにある様々な「素材」へと向けられていた。木、石、水、土、そして、村人たちの生活を支える、もっと日常に密着したもの。しかし、彼女の中には、両親との約束と、自身の**「スキルを人前で直接使わない」**という固い誓いがあった。この誓いは、彼女の行動を律する最も重要な原則となっていた。そのため、彼女が何かを「改造」しようとする時、そのプロセスは非常に独特で、複雑なものだった。
まず、エメリアは目の前の問題に対し、**「前世の知識」**を総動員して解決策を探した。例えば、硬い土壌の問題に直面した時、彼女の脳裏には、前世で学んだ「土壌学」「地質学」「作物栽培技術」といった膨大な情報が、まるで広大な図書館の書棚のように次々と展開される。土のpH値、微量栄養素の欠乏、排水性、通気性、団粒構造の重要性、微生物の働き…あらゆる要素が瞬時に検討されるのだ。彼女は、それらの知識を、目の前にあるこの世界の土に当てはめ、どうすればその性質を改善できるかを論理的に思考する。
(この世界の土は、成分や気候条件が違うかもしれない。でも、基本的な物理構造や、植物の生育に必要な土壌の機能は、根源的には同じはず…)
彼女は、図書館で借りたこの世界の農書や、村の農夫たちの会話から得た断片的な情報と、前世の知識を照らし合わせる。腐葉土を混ぜる、水を浸透させるための溝を掘る、あるいは特定の作物を栽培して土壌を改良するといった、現実的な手段がいくつも頭に浮かぶ。しかし、それらは時間や労力がかかり、この世界の技術水準では、限界があることも理解していた。もし、前世の知識だけで完璧な解決策が見つからない場合は、次に進む。
そして、まさにその「前世の知識」を応用し、思考を巡らせる**「考える」という行為そのものが、彼女の『改造』スキルを活性化させるトリガーとなっていた。それは、単に問題解決を考えるだけでなく、その思考が深まり、ある一点に集中すると、まるで意識の奥底から「声」**が響くかのように、彼女の『改造』スキルが反応し始めるのだ。あたかも、彼女が知識の網を広げ、最適な「答え」を探し求めるほどに、スキルの持つ「真実を見抜く力」と「構造を変える力」が研ぎ澄まされていくようだった。
思考が深まり、触れている対象物の**「分子レベルの構造」**が、まるで精密な設計図のように鮮明に浮かび上がる。それは、ただ物理的に見るだけでなく、その構造がどのように結合し、どのように力が伝わり、何が問題を引き起こしているのかを、五感を超えた感覚で「理解」する体験だった。硬い土であれば、その土の粒子が過度に密に結合し、空気や水の通り道を塞いでいる様が、手に取るように分かった。それは、彼女の脳内で、対象物の完全な「構造モデル」が構築されるような感覚だ。
そして、その問題点と、前世の知識で得た「理想の構造」、あるいは「効率的な機能」が、スキルによって結びつけられる。あたかも、スキルがエメリアの脳内で、膨大なデータに基づいたシミュレーションを行い、「この構造をこうすれば、最も効率的に改善される」という『改造』の「最適解の方程式」を瞬時に導き出すかのように。それは、知識の探求と思考の反復によってのみ到達できる、スキルからの**「啓示」**だった。この「啓示」こそが、彼女が人前でスキルを直接見せることなく、奇跡的な解決策を生み出す秘密だった。
この『改造』すべき点や方法が「分かる」という感覚は、次第に明確さを増していた。最初は漠然とした方向性だったものが、今では具体的な「力の加え方」や「内部構造の変容イメージ」として、エメリアの中に流れ込んでくる。まるで、彼女自身が巨大な精巧な機械の設計者であり、その機能を最適化するための完璧な青写真が、彼女自身の意志とスキルによって与えられているかのようだった。このプロセスを通じて、彼女の『改造』スキルは、単に物の形を変えるだけでなく、その**「本質的な機能や性質を向上させる」**方向へと進化を続けていることを、エメリアは直感的に理解していた。
この方法であれば、たとえ人前で「改造」の力を発動したとしても、それはあくまで「エメリアのひらめきや知恵の結果」として認識され、彼女の「特別な力」が直接的に見破られることはない。彼女は、この巧妙なやり方で、両親との約束を守りながら、この世界の進歩に貢献していく覚悟を決めていた。
ある日の夕方、エメリアが村の近くの畑道を歩いていると、何人かの農夫たちが、顔を曇らせて立ち尽くしているのが見えた。彼らは、目の前の畑を指差し、困惑した表情で話し合っている。
「どうしたんですか?」
エメリアが声をかけると、農夫の一人、顔見知りのグスタフが振り返った。
「おお、エメリアちゃんか。実は困ったことになってな。今年の作付けの前に畑を耕していたんだが、どうもここの土の様子がおかしいんだ。やけに硬くて、掘り返しても全然栄養がなさそうな土ばかりでな。これでは、まともな作物は育ちそうにない」
エメリアが畑に近づいてみた。確かに、他の畑の土と比べて、そこだけが明らかに硬く、まるで岩盤が露出しているかのように見える。土の色も薄く、生命力を感じさせない。
(この土…どうすれば良くなるだろう? 前世の知識だと、土壌改良には石灰を混ぜたり、堆肥を入れたりするけど、この硬さはただ事じゃない。この世界の資材で完璧に実現するのは難しい…)
エメリアは、まず前世の農業知識をフル回転させた。この世界の資材でそれが可能なのか、そもそも土の質が根本的に異なっているのではないか、と考えを巡らせる。彼女の頭の中で、様々な土壌改良の方法が試行錯誤されるうちに、自然と『改造』スキルが反応し始めた。あたかも、前世の知識で考えている「答え」を、スキルが「見つけ出す」かのように、土の分子構造が脳裏に浮かび上がる。そして、その構造をどうすれば最適化できるか、『改造』すべき明確なイメージが、彼女の中にひらめく。
(そうだ、この土の粒子の結合を緩めて、空気を多く含ませるようにすれば…植物が根を張りやすく、水と栄養が行き渡るようにすればいいんだ。そのためには、特定の深さまで深く耕し、少量の川砂と木炭の灰を混ぜ込むこと。そして、耕した後には、一度だけ多めの水を撒く。 これなら、この世界の資材と技術でも可能だ)
エメリアは、その「啓示」によって得られた具体的な方法を、グスタフたちに提案した。
「グスタフさん、皆さん。もしよろしければ、一つ試してみてはいかがですか? この畑の土は、もしかしたら、土の粒子がぎゅっと固まりすぎているのかもしれません。一度、いつもより深く耕してみて、もし手に入るなら、ほんの少しでいいので、川の砂と、かまどの灰を混ぜ込んでみてはどうでしょう? それから、耕し終わったら、一度だけ井戸水を多めに撒いて、土を落ち着かせてみてください。そうすれば、土が柔らかくなり、栄養も行き渡りやすくなるかもしれません」
グスタフたちは顔を見合わせた。深く耕すのは骨が折れるし、川砂や灰を混ぜるというのも聞いたことはないが、エメリアの言葉には妙な説得力があった。ミーア鉱の件で彼女の知識が本物であることを知っているため、彼らは半信半疑ながらも、他に手立てもないため、彼女の提案を試してみることにした。
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