第49話. 井戸の水の秘密、そして新たな試み
畑の土壌改良の件は、エメリアにとって大きな学びとなった。『改造』スキルによる「啓示」は的確だったが、それを直接使わずに、この世界の知識と技術で完璧に再現するのは難しい。それでも、農夫たちの喜びが、彼女の心に確かな手応えを残していた。人知れず貢献することの充実感を胸に、エメリアは次の課題へと目を向けた。
次に彼女が気になったのは、村の共同井戸だった。以前、水量が減っていることに気づき、一時的に改善したことがあったが、それはあくまで短期間の効果だった。最近また、井戸の周りに水汲みの列ができているのをよく見かけた。
(あの井戸、以前、水脈を『改造』したつもりだったけど、効果が一時的だったということは、まだ根本的な問題が解決されていないのか…)
エメリアは、その日の夕食後、誰もいない時間を見計らって共同井戸へと向かった。夜の闇の中、ひっそりと佇む井戸は、昼間とは異なる顔を見せる。彼女は、井戸の縁に手をかけ、目を閉じた。
(水脈の構造、水の流れ、そして周囲の地層…)
前世の知識が頭の中で高速回転する。地下水学、地質学、流体力学…膨大な情報が次々と展開される。この世界の井戸掘りの技術は未熟で、単純に深く掘るだけでは、より安定した水脈に到達することは難しい。彼女の思考が深まるにつれて、『改造』スキルが反応し始めた。井戸の底深く、地層の隙間を縫うように流れる水脈の姿が、鮮明な「構造モデル」として脳裏に浮かび上がる。
スキルからの**「啓示」**が訪れた。
(井戸の周囲の岩盤の一部が、水の流れを阻害している。特に、北西方向の深さ約5メートル地点に、地下水脈から井戸への細い流れを塞ぐような堅い層がある。これを迂回させるか、あるいは、岩盤自体に微細な亀裂を増幅させ、水の浸透性を高める必要がある…)
その「啓示」は、物理的な力で岩を砕くような粗暴なものではなかった。むしろ、岩盤の分子構造を理解し、その内部に存在するごくわずかな不均一性を利用して、水が流れやすい**「微細な経路」**を形成するような、極めて繊細な『改造』のイメージだった。それは、自然の摂理に逆らうのではなく、自然の力を最大限に引き出すような、巧妙な介入だった。
エメリアは、井戸の縁にそっと触れたまま、その「啓示」を心の中で反芻した。しかし、今回は畑の土のように、具体的な作業指示として村人に伝えられるようなものではなかった。特定の岩盤をどう加工すればよいか、誰にもスキルを悟られずに説明するのは不可能だ。
(これは…直接的な介入が必要になるかもしれない。でも、どうすれば誰にもバレずに…)
彼女は、井戸の周りを見回した。夜は深い闇に包まれ、人通りは全くない。村の家々からは、わずかな明かりが漏れるだけだ。こんな深夜に、井戸に異変が起きれば、翌朝には大騒ぎになるだろう。
エメリアは、深呼吸をした。両親との約束を破るわけにはいかない。しかし、目の前の水不足に苦しむ村人たちの姿も、彼女の心に焼き付いていた。
(ごくわずかな、目に見えない範囲での『改造』なら…)
彼女は、井戸の縁から手を離し、井戸の壁に沿ってゆっくりと手を滑らせた。そして、スキルが「啓示」した北西方向の深さ5メートル地点に意識を集中させる。指先が、その場所のわずかにひんやりとした石に触れた。
「『改造』」
心の中で、ごく小さく、しかし確かな声で唱えた。エメリアの指先から、熱を帯びた微細な光が、ゆっくりと井戸の壁へと浸透していく。意識の中では、あの硬い岩盤の構造が再び現れ、まるで生き物のように蠢く水分子たちが、新たな経路を求めて岩の隙間を広げていくイメージが描かれた。物理的な破壊ではなく、**「水の流れを阻害する構造を、より水の流れに適した構造へと『調整』する」**感覚だった。
数秒間、その感覚に集中した後、エメリアはそっと手を離した。井戸の壁には、何の変化もない。だが、彼女の『改造』スキルは、確かにその役割を果たしたはずだ。
「これで…どうだろう…」
翌朝、村人たちが井戸に水汲みに来た時、彼らはその変化に驚きの声を上げた。
「見てくれ! 水の出が良くなってる!」 「ああ、勢いが違うぞ! 昨日までとはまるで別物だ!」
井戸から汲み上げられる水は、以前にも増して勢いを増し、澄み切っていた。待ち時間は劇的に短縮され、村人たちの顔には笑顔が広がった。
「これは間違いなく、井戸の神様が再び恵みを与えてくださったんだ!」
グスタフが感嘆の声を上げ、他の村人たちもそれに続いた。彼らは、井戸の神に感謝を捧げ、村の繁栄を祈った。
エメリアは、食堂の窓からその様子を眺めていた。顔には出さなかったが、胸の奥では安堵と、かすかな緊張が混じり合っていた。今回は、直接スキルを使ってしまった。だが、誰にも気づかれずに、これほど劇的な変化をもたらすことができた。
(この方法なら…もっと、たくさんのことができるかもしれない)
人知れず世界を『改造』する。それは、両親に誓った秘密を守りながら、この世界に前世の知識とスキルの恩恵をもたらす、エメリアなりの「正義」だった。井戸の水の改善は、彼女にとって、その「正義」を実践する、新たな確信を与えたのだった。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません