第61話.ロッシュ先生の執念と、土の謎

ロッシュ先生は、木箱から悪臭が消えたことに驚きを隠せずにいた。エメリアが落とした金属の棒の音と、その現象の間に何らかの関連があるのではないかという、半信半疑ながらも好奇心に駆られていた。彼の科学者としての探求心が疼き始めたのだ。

「エメリアさん、その金属の棒を、もう一度、今度は意図的にこの木箱の近くで鳴らしてみてくれないか?」

ロッシュ先生の言葉に、エメリアは内心でガッツポーズをした。これは、**「閃き」**をこの世界の常識に落とし込むための、大きなチャンスだ。

「はい、ロッシュ先生。やってみます」

エメリアは、真鍮製の音波発生器を手に取り、木箱の傍らで、そっと特定の場所を叩いた。カーン、と澄んだ音が再び小屋の中に響き渡る。ロッシュ先生は、その音の響きに耳を傾け、木箱の土の様子を、食い入るように観察した。彼には、目に見える変化は確認できなかったが、耳を澄ますと、土の中からごく微かに、何かが活動しているような、かすかな音が聞こえるような気がした。もちろん、それは彼の気のせいだろう。

「……うむ。やはり、悪臭はほとんどないままだ。しかし、音と悪臭の消失に、一体何の関係があるというのだ? エメリアさん、君は何か知っているのではないかね?」

ロッシュ先生は、真剣な眼差しでエメリアを見つめた。エメリアは、これ以上隠し通すのは難しいと感じた。しかし、微生物の具体的な話をしても、すぐに信じてもらえないだろう。まずは、目の前の「事実」にロッシュ先生の興味を集中させるべきだ。

「はい、ロッシュ先生。実は、私はリーベル村にいた頃から、土にはそれぞれ、違う『力』があるのではないかと考えていました。特に、腐った植物が多い、森の奥の土には、特別な『働き』があるように感じていたんです。私が落としてしまったあの金属の棒の音は、その土の『働き』を活発にしているのかもしれません」

エメリアは、言葉を選びながら、あくまで「土の特性」と「音の作用」に焦点を当てて説明した。そして、物置小屋の隅に隠していた、音波発生器で活性化させた土の鉢を、ロッシュ先生に見せた。

「先生、こちらの土を見てください。私が個人的に育てているものです。こちらの方が、悪臭がさらに少なく、土の質も変わっているのがわかるはずです。この土には、特に『分解』が得意な『力』があるんです」

ロッシュ先生は、半信半疑ながらも、エメリアが差し出した鉢の土に鼻を近づけた。すると、驚くことに、その土からは全く悪臭がしないのだ。どころか、ほんのりと土本来の、清々しい匂いがする。そして、指で触れると、通常の土よりもはるかに柔らかく、ふかふかとした感触があった。

「これは……確かに、悪臭が全くしない……。そして、土の質も明らかに変わっている。普通の土では、こんな変化は起こりえないはずだ。そして、この金属の棒の音と、何かしらの関係があるというのなら……」

ロッシュ先生の顔には、困惑の色がさらに深まった。彼の常識では考えられない現象が、目の前で起こっていたのだ。しかし、彼は長年の研究者としての経験から、目の前の事実を無視することはできなかった。

「エメリアさん、君の言う『土の特別な力』と、この金属の棒の音の関係性は、非常に興味深い。私は長年、植物や動物の観察はしてきたが、土そのものの『働き』について、ここまで深く考えたことはなかった。この土が、本当にその『分解の力』を持っているのか、そして、その金属の棒の音が、いかにその力を引き出すのか……。これを解明することは、私の長年の研究者としての知識を揺るがす、大きな発見になるかもしれない」

ロッシュ先生は、真剣な表情でエメリアに申し出た。彼の瞳には、新たな発見への執念と、知的好奇心の炎が宿っていた。彼は、エメリアの突飛な発想を、頭ごなしに否定するのではなく、自らの手で検証しようと決意したのだ。

「分かった。私は、君の言う『土の特別な力』と、この金属の棒の作用について、徹底的に調べることにする。君は私の『特別助手』として、この研究を手伝ってくれるかね? まずは、この『分解の力』を持つという土の特性を、詳しく調べていこう」

「はい、ロッシュ先生! 喜んでお手伝いさせていただきます!」

エメリアは、満面の笑みで答えた。これで、堂々と自分の知識とスキルを活用できる。そして、ロッシュ先生という権威ある協力者を得たことで、この世界の衛生問題に、より深く関わることができるだろう。

秘密の物置小屋は、単なる実験室ではなく、この世界の科学の常識を覆す、新たな発見の場所となる予感を秘めていた。エメリアとロッシュ先生の、異色の共同研究が、今、本格的に幕を開けたのだった。