第78話.王都薬品分析所のベイルと、驚愕の事実
ロッシュ先生とエメリアは、レナード領主の父であるレナード伯爵様の紹介状を手に、王都にある薬品分析所を訪れた。王都邸での報告から数日後のことだ。分析所は、石造りの重厚な建物で、無数のガラス製の瓶や試験管が並ぶ実験室からは、独特の薬品の匂いが漂っていた。
レナード伯爵様は、国王から公爵様の下で王都の行政全般を任されている5人の貴族の1人に当たるため、自身の領地の運営は長男に任せている。そのため、王都の住民の暮らしに直結する衛生問題には人一倍関心が高く、ロッシュ先生たちの実験にも大きな期待を寄せていた。彼から直接連絡を受けた分析所も、このプロジェクトを軽視することはできなかった。
二人は、分析所の主任研究員であるベイルという男と対面した。彼は細身で、鋭い眼差しをした壮年の男性だった。彼は、ロッシュ先生が持参した浄化装置から流れ出た水のサンプルと、その実験の経緯を、淡々と聞き入った。
「悪臭を消す『奇跡の土』ですか……。その話はレナード伯爵様から伺っています。しかし、その水が本当に安全かどうか、我々が科学的に証明しなければ、無闇に利用することはできません。この水のサンプルを預からせていただきます。結果が出るまでには数日かかるでしょう」
ベイルの口調は丁寧だったが、その表情には、ロッシュ先生の実験に対する懐疑的な色が隠されていなかった。彼は、これまで様々な胡散臭い発明を見てきたのだろう。この世界では、科学と魔術の境界線が曖昧で、根拠のない「発明」も少なくなかった。
「もちろんです! ベイル殿、この水の安全性を確かめることが、我々の次の目標です。どうぞ、この水の成分を、徹底的に分析してください!」
ロッシュ先生は、ベイルの疑念を意に介することなく、熱意を込めて語った。エメリアもまた、静かに頭を下げた。彼女は、この世界の科学者がどのような方法で水の分析を行うのか、興味津々だった。
それから数日後、二人は再び薬品分析所に足を運んだ。ベイルは、二人が部屋に入ると、硬い表情で一枚の羊皮紙を差し出した。そこには、難解な記号や数字がびっしりと書かれていた。
「ロッシュ先生、エメリアさん。この水の分析結果が出ました。まず、この水には、確かに悪臭の原因となる腐敗性の毒素はほとんど含まれていませんでした。その点は、君たちの実験の成果を認めます」
ベイルは、そう前置きしてから、さらに厳しい表情になった。
「しかし……この水には、微量ながら毒性の高い物質が含まれていました。そして、何よりも驚くべきは、この水に、これまでこの世界では観測されたことのない未知の成分が検出されたことです。それは、ごく微量ですが、生物に何らかの影響を与える可能性がある……。これが、君たちの言う『粒子』と関係しているとしか考えられません」
ベイルの言葉に、ロッシュ先生は驚愕した。悪臭が消えた水には、まだ毒性が残っていたのだ。そして、彼が「粒子」と呼んでいたものの正体につながる、未知の成分が検出された。
「まさか……毒性が……。我々は、無闇にこの水を再利用させなくて、本当に良かった……!」
ロッシュ先生は、蒼白な顔で呟いた。エメリアの慎重な一言が、王都の住民を危険から救ったのだ。
「そこで、提案があります」
ベイルは、二人の様子をじっと見つめ、静かに続けた。
「我々薬品分析所は、この未知の成分、そしてこの水の浄化技術に、大きな可能性を感じています。ロッシュ先生の科学的知見と、君たちの実験結果は、我々にとっても大変貴重なものだ。ついては、今後、この水の完全な浄化方法と、その未知の成分の解明を、我々と協力して進めていただけないでしょうか。この実験は、もはや学校の実験の域を超え、王都、ひいてはこの国の科学を大きく進歩させるものになるでしょう」
ベイルは、初めて、探求心に満ちた表情を見せた。彼の言葉は、ロッシュ先生とエメリアの実験が、王都の公的な機関と本格的に連携し、より高度な科学実験へと発展していくことを意味していた。
エメリアは、その提案に安堵し、そして新たな希望を感じていた。彼女の「閃き」は、一人で抱え込むものではなく、この世界の科学者たちと共有し、共に発展させていくものなのだ。
こうして、ロッシュ先生とエメリアの実験は、王都の最高峰の科学者たちをも巻き込む、壮大なプロジェクトへと発展していくのだった。