第104話.新たな疑問と、洗脳という誘惑
オスカー・ブレイクが去った後も、エメリアの心は波打っていた。**『簡易鑑定』**で得た情報は、彼女にとってあまりにも衝撃的だった。公爵の密偵。その事実は、彼女の研究生活を、平穏な学びの場から、危険な策略が渦巻く戦場へと一変させた。
(**『簡易鑑定』**が人間にも使える……。じゃあ、ひょっとして……)
エメリアの脳裏に、一つの恐ろしい疑問が浮かび上がった。もし**『簡易鑑定』が、物質だけでなく人間の情報も読み取れるなら、自分の持つ『改造』スキル』**もまた、人間に使えるのではないか?
これまでの**『改造』スキル』**は、物質の構造を分子レベルで理解し、それを理想の形に変えるものだった。もし、人間の「思考」や「記憶」が、何らかの構造を持つものだとしたら……。
(もしかしたら、オスカーの頭の中を**『改造』**して、彼を私たちの味方にできるかもしれない……)
悪魔のささやきのように、その誘惑がエメリアの心を揺さぶった。そうすれば、公爵様の脅威からロッシュ先生やベイル、そして自分自身を守ることができる。研究を邪魔されず、王都の未来を救うことができるかもしれない。
しかし、その考えは、エメリアの倫理観に深く突き刺さった。
(そんなこと、できるはずがない……! 誰かの心を、勝手に書き換えるなんて……)
それは、人の尊厳を無視する行為であり、彼女の持つ力の本質を捻じ曲げることだと感じた。たとえそれが、良い結果をもたらすとしても、彼女はそんな力を振るうことを躊躇した。声の主が言った「思うままに生きていけばいい」という言葉が、この行為を許すものなのか、彼女には判断できなかった。
エメリアは、手のひらをじっと見つめた。この手は、人の心を操るためにあるのか? いや、違う。この手は、人の役に立つものを生み出すために、知識と**『閃き』**を形にするためにあるはずだ。
「エメリアさん、どうしたんだい? 顔色が悪いようだが……」
ロッシュ先生が、心配そうにエメリアに声をかけた。
「いえ、何でもありません。ただ、少し考え事をしていました」
エメリアは、そう答えて微笑んだ。オスカーの真の目的を話すことはできない。そして、自分の心に浮かんだ恐ろしい疑問も、誰にも話せない。
今はまだ、オスカーの出方を見るべきだ。彼の監視が、本当に研究の妨害に繋がるのか。それとも、別の目的があるのか。彼女は、安易に**『改造』スキル』**を人間に試すという恐ろしい選択を封印し、冷静に状況を見極めることにした。
エメリアの心の中には、新たな能力と、その力の危険性に対する葛藤が、深く静かに渦巻いていた。彼女は、公爵の密偵という現実と、自分自身の心の中で繰り広げられる倫理的な戦いに、一人で立ち向かわなければならなかった。