『好天の傘』
ある男が、新製品の傘を手に入れた。
それは単に雨をしのぐだけの道具ではない。
差した瞬間に周囲の空間を遮断し、内側に「好天」を作り出す画期的な装置だった。
「憂鬱な雨の日も、これさえあれば快適だ」
男はさっそく、暴風雨の予報が出ている街へと繰り出した。
柄(え)にあるスイッチを入れると、頭上に半透明のドームが展開される。
叩きつける雨粒はドームに触れた瞬間に消滅し、轟く雷鳴も完全な静寂へと変換された。
さらに素晴らしいのは、傘の内側に投影される映像だ。
男が見上げる頭上には、抜けるような青空と白い雲が広がっている。
気温も湿度も、常に春の陽気のように調整されていた。
男は軽やかな足取りで歩道を歩いた。
周囲を行き交う人々は、ずぶ濡れになりながら必死の形相で走っている。
強風に煽られ、壊れたビニール傘がゴミのように転がっていく。
しかし、男の視界にはそれらは映らない。
この傘には「不快情報フィルタリング機能」が備わっているからだ。
汚いもの、悲惨な光景、そして他人の不幸な顔は、美しい花壇や穏やかな風景の映像にリアルタイムで置き換えられる。
「なんと素晴らしい世界だ。彼らもこの傘を買えばよかったのに」
男は優越感に浸りながら、いつもの散歩コースである川沿いの道を進んだ。
向こうから、口を大きく開けて何かを叫んでいる男が走ってきた。
おそらく「傘を貸してくれ」とでも言っているのだろう。
男は関わり合いになるのを避けるため、フィルタリングの強度を最大に上げた。
叫ぶ男の姿は、愛らしい子犬がじゃれついている映像に変換された。
男は微笑んで、その脇を通り過ぎた。
やがて、対岸へ渡るための大きな橋に差し掛かった。
普段は老朽化して薄汚れた橋だが、今の男の目には、大理石で作られた宮殿のように白く輝く立派な橋として映っている。
これもフィルタリングのおかげだ。世界はこうでなくてはならない。
男は満足して頷き、その白く輝く橋へと、大きく一歩を踏み出した。
実はその数分前、記録的な濁流によって橋の中央部分は完全に崩落していたのだが、
傘の機能はそれを「不快な欠損」と判断し、完璧な橋の映像で丁寧に修復していたのである。
男が重力という現実のルールに気づいたのは、川面へと落下している最中だった。


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