効率的な生活
ある男が、銀色の小さな袋を手に取った。中には、科学の粋を集めたゼリー状の液体が入っている。
「これが、完全栄養食か」
男は呟き、吸い口を口に含んだ。ほんのりとした甘みと共に、冷たい流動体が喉を通り過ぎていく。
食事にかかった時間はわずか十秒。これで一日に必要なカロリー、ビタミン、ミネラル、そして水分までもが完璧に補給されるのだ。
男は合理主義者であった。
固形物を咀嚼し、嚥下し、消化するという行為は、彼にとって野蛮で非効率な時間の浪費に過ぎなかった。
皿を洗う必要もない。排泄の回数も劇的に減る。余った時間はすべて、仕事や趣味、そして睡眠に充てることができる。
「素晴らしい。人類はついに、食欲という呪縛から解放されたのだ」
男は毎日、そのゼリー飲料だけを摂取し続けた。
効果は劇的だった。
肌は艶を増し、贅肉は落ち、頭脳は冴え渡った。
彼は周囲の同僚たちが、昼時に列をなして食堂へ向かうのを冷ややかな目で見下ろした。
彼らはまだ、動物のような本能に振り回されている。
一ヶ月が過ぎた頃、男はさらに進化した「プレミアム版」のゼリーを入手した。
それは従来の半分の量で、倍の栄養価があるという。男は歓喜した。
これでもう、指一本動かすことなく生きていけるかもしれない。
次第に、男は外出するのをやめた。部屋から出る必要がないからだ。
通信機を通じて仕事をこなし、配給システムでゼリーを取り寄せる。
運動不足を懸念したが、不思議と体は衰えない。むしろ、手足が丸みを帯び、白く滑らかな質感へと変わっていく。
「これは進化だ」
男は確信した。無駄な筋肉や骨格が退化し、純粋な脳と消化器官だけの、より高次な存在へと生まれ変わろうとしているのだ。
布団に横たわったまま、男は恍惚とした表情でゼリーを啜り続けた。
ある朝、男は自分が動けなくなっていることに気づいた。
手足の感覚がない。
いや、手足が胴体と一体化し、白くて硬い殻のようなものに覆われている。
しかし、恐怖はなかった。寒さも暑さも感じない。
完璧なシェルターの中にいるような安心感があった。
(ついに、私は完成されたのだ。外部の刺激に惑わされない、完璧な知的生命体へと)
男は殻の中で、静かに思考を巡らせた。
これからの人生は、純粋な思索のためだけにあるのだと。
ふと、部屋のドアが開く音がした。
入ってきたのは、見知らぬ二人組だった。
彼らは男のベッドに近づくと、白く硬化した男の体を覗き込んだ。
「おい、見ろよ。こいつは上玉だぞ」
「本当ですね。丸々として、艶もいい」
男は心の中で嘲笑した。
愚かな旧人類たちが、進化した私を崇めているのだ。
二人組のうちの一人が、男の体を軽々と持ち上げた。
そして、無造作に木箱の中へと放り込んだ。
箱の中には、男と同じように白く丸まり、動かなくなった元人間たちが、整然と並べられていた。
「やっぱり、あのゼリーの配合を変えて正解でしたね」
「ああ。手間もかからず、勝手に栄養を摂って極上の繭(まゆ)になってくれる。これで、最高級の絹糸が採れるぞ」
男が入った箱の蓋が、バタンと閉じられた。


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