春が深まり、庭の木々が柔らかな若葉を揺らしていた。
あの日、天啓の儀でスキルを隠し、「無属性」と告げられてから、ひと月が経った。私の心は、あの日から静かに、しかし確実に変わっていった。
「お嬢さま、今日はお庭で昼食にしませんか?」
ナタリーが、籠いっぱいの布を抱えて私の部屋に現れた。
「いいね、ピクニックだ!」
明るく答えると、ナタリーの顔がふっとほころんだ。
「では、準備してまいりますね」
私は書斎で読んでいた水路の地図をそっとたたんで、引き出しにしまった。
(まだ行動には移せない。けど、準備はしておかなくちゃ)
私の中の【改造】スキルは、眠ったままだ。自分が何をどうすれば使えるのか、その実感すらまだない。ただ、前世の知識とこの世界の経験を重ねることで、少しずつ「変えるための視点」が身についてきている。それが何よりの収穫だった。
「ねぇリリア、こっちで食べようよ!」
弟のアルフォンスが、芝の上に広げた布の上で手を振っている。
「わたし、そっちいくー!」
妹のエリナも、アルフォンスの隣でぱたぱたと手を振っている。
(ほんとに、元気だなあ……)
二人ともまだ小さくて、スプーンを使うのもやっとだ。それでも、家族と一緒に過ごす時間は私の宝物だった。
「リリア、おにぎり取って」
「はい、どうぞ」
「……これ、たまごはいってるー?」
「大丈夫、入ってないよ」
「よかったー!」
アレルギーもちのアルフォンスには、メイドのアンナが特別に用意してくれたおにぎりだ。以前、卵焼きを食べて蕁麻疹が出たことがあって、それ以来、彼はとても敏感になっている。
(そういえば、アレルギーって遺伝と環境の両方が関係するって本に書いてあったな……)
私はその時、ふと一つのことに気づいた。
(この世界の医療は、まだそこまで進んでない。アレルギーが何なのか、正確には誰も知らない)
医者でさえ、「体質の問題」「神の気まぐれ」などと曖昧な説明をするだけだ。
もし、記憶と知識を活かせれば……
私はすぐに【改造】を使おうとは思わない。むしろ、まだその準備はできていない。
けれど、何かを変える種はまけるかもしれない。
「ナタリー、今度、薬草の本を借りられる?」
「薬草ですか? はい、もちろんです。でも、どうして急に?」
「ちょっと、アルフォンスのことで……」
言葉を濁すと、ナタリーは優しくうなずいてくれた。
「お優しいんですね、お嬢さま」
そうじゃない。私には知っていることがある。ただ、それをどうこの世界に馴染ませるか、その方法を探っているだけなのだ。
午後、屋敷の裏庭で、一人本を読んでいると、母が静かに近づいてきた。
「リリア、ちょっといい?」
「お母さま?」
「最近、あなた……前より少し大人びた気がするの」
「そうかな?」
「ええ。儀式のあとから、何か吹っ切れたような……」
私は返事をせず、ページをめくる音だけが風に紛れた。
「無理をしていないといいのだけれど」
母は、私の髪をそっとなでた。
「……大丈夫だよ、お母さま」
その言葉の奥に、たぶん私は少しだけ本当の気持ちを込めていた。
秘密を持っている。 だけど、それを誰にも言えない。 けれど、私の根っこには、この家族がいる。
だから、私は焦らず、けれど確かに前へ進もう。
この世界で、私にできることを、静かに始めるんだ。