第14話「静かな一歩」

春が深まり、庭の木々が柔らかな若葉を揺らしていた。

あの日、天啓の儀でスキルを隠し、「無属性」と告げられてから、ひと月が経った。私の心は、あの日から静かに、しかし確実に変わっていった。

「お嬢さま、今日はお庭で昼食にしませんか?」

ナタリーが、籠いっぱいの布を抱えて私の部屋に現れた。

「いいね、ピクニックだ!」

明るく答えると、ナタリーの顔がふっとほころんだ。

「では、準備してまいりますね」

私は書斎で読んでいた水路の地図をそっとたたんで、引き出しにしまった。

(まだ行動には移せない。けど、準備はしておかなくちゃ)

私の中の【改造】スキルは、眠ったままだ。自分が何をどうすれば使えるのか、その実感すらまだない。ただ、前世の知識とこの世界の経験を重ねることで、少しずつ「変えるための視点」が身についてきている。それが何よりの収穫だった。


「ねぇリリア、こっちで食べようよ!」

弟のアルフォンスが、芝の上に広げた布の上で手を振っている。

「わたし、そっちいくー!」

妹のエリナも、アルフォンスの隣でぱたぱたと手を振っている。

(ほんとに、元気だなあ……)

二人ともまだ小さくて、スプーンを使うのもやっとだ。それでも、家族と一緒に過ごす時間は私の宝物だった。

「リリア、おにぎり取って」

「はい、どうぞ」

「……これ、たまごはいってるー?」

「大丈夫、入ってないよ」

「よかったー!」

アレルギーもちのアルフォンスには、メイドのアンナが特別に用意してくれたおにぎりだ。以前、卵焼きを食べて蕁麻疹が出たことがあって、それ以来、彼はとても敏感になっている。

(そういえば、アレルギーって遺伝と環境の両方が関係するって本に書いてあったな……)

私はその時、ふと一つのことに気づいた。

(この世界の医療は、まだそこまで進んでない。アレルギーが何なのか、正確には誰も知らない)

医者でさえ、「体質の問題」「神の気まぐれ」などと曖昧な説明をするだけだ。

もし、記憶と知識を活かせれば……

私はすぐに【改造】を使おうとは思わない。むしろ、まだその準備はできていない。

けれど、何かを変える種はまけるかもしれない。

「ナタリー、今度、薬草の本を借りられる?」

「薬草ですか? はい、もちろんです。でも、どうして急に?」

「ちょっと、アルフォンスのことで……」

言葉を濁すと、ナタリーは優しくうなずいてくれた。

「お優しいんですね、お嬢さま」

そうじゃない。私には知っていることがある。ただ、それをどうこの世界に馴染ませるか、その方法を探っているだけなのだ。


午後、屋敷の裏庭で、一人本を読んでいると、母が静かに近づいてきた。

「リリア、ちょっといい?」

「お母さま?」

「最近、あなた……前より少し大人びた気がするの」

「そうかな?」

「ええ。儀式のあとから、何か吹っ切れたような……」

私は返事をせず、ページをめくる音だけが風に紛れた。

「無理をしていないといいのだけれど」

母は、私の髪をそっとなでた。

「……大丈夫だよ、お母さま」

その言葉の奥に、たぶん私は少しだけ本当の気持ちを込めていた。

秘密を持っている。 だけど、それを誰にも言えない。 けれど、私の根っこには、この家族がいる。

だから、私は焦らず、けれど確かに前へ進もう。

この世界で、私にできることを、静かに始めるんだ。

第14話 完

  • Related Posts

    第19話「新しい種」

    秋の気配が濃くなり、屋敷の庭の木々もほんのりと色づきはじめた…

    第18話「流れを導く手」

    夏の陽射しが照りつける中、私は再び村を訪れていた。前回の視察…

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    You Missed

    第19話「新しい種」

    第18話「流れを導く手」

    第17話「夏の影と子守唄」

    第16話「小さな波紋」

    第15話「秘密の重み」

    第14話「静かな一歩」